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こんにちは。ヨッチです。


日航123便の墜落事故。もう34年前のことになります。520名の犠牲者の中に、元宝塚歌劇団雪組娘役の北原遥子さんがいました。わずか24歳の若さで事故に遭われました。宝塚同期には、黒木瞳さんや真矢みきさんがいます。


この悲惨な事故の概要、経緯と彼女を偲んでここに記したいと思います。

 

事故概要

1985年(昭和60年)8月12日、東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行の同社定期便だった、JAL123便(ボーイング747)が、ボーイング社の不適切な修理が原因とされる後部圧力隔壁が飛行中に破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムも全喪失した。結果、完全に操縦不能に陥り、迷走飛行の末、最終的に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)へ墜落した。

この事故では乗客乗員524名のうち、520名が死亡し、日本航空の歴史上最悪の事故、そして単独機で世界史上最悪の死者数を出す航空事故となった。Wikipediaより

墜落までの経緯

離陸から墜落までわずか32分間余りであるが、機長、副操縦士、航空機関士が最後まであきらめずに必死になってトラブルを修正しようとしていることが分かる。(Wikipediaより引用/コックピット内の会話を中心に拾い出した)


18時00分、羽田空港を出発
(伊丹空港には18時56分に到着する予定)

18時12分、離陸

18時24分(離陸から12分後)、高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、緊急事態が発生

18時24分35秒頃、機長「まずい、なんか爆発したぞ」、航空機関士「ハイドロプレッシャー(油圧機器の作動油の圧力)を見ませんか」

18時25分、機長が副操縦士に対し「バンク(傾き)そんなにとるなマニュアル(手動操縦)だから」「(バンクを)戻せ」、副操縦士「戻らない」

18時26分、機長は副操縦士に「ディセンド(降下)」、機長「なんでこうしないんだ」あるいは「なんで降下しないんだ」

18時27分、航空機関士「ハイドロプレッシャーオールロス(油圧全て喪失)」「頭(機首)下げろ」「頭上げろ」

18時35分、航空機関士が「R5のドア(機体右側最後部のドア)がブロークン(破損)しました」

18時46分、機長「これはだめかも分からんね」

18時47分、機長「山にぶつかるぞ」

18時48分、航空機関士「がんばれー」、副操縦士「今舵いっぱい」

18時49分、機長「あーダメだ。終わった。ストール(失速する)」「マックパワー(エンジン出力全開)、マックパワー、マックパワー」

18時50分、副操縦士「スピードが出てます スピードが」、機長「どーんといこうや」、機長「頭下げろ、がんばれがんばれ」、副操縦士は「今コントロールいっぱいです」

18時55分01秒、機長「フラップを下げられるか」、副操縦士は「はいフラップ-10(今10度下がっているという意味)」

18時55分43秒、機長「フラップ止めな」 

18時55分50秒頃、機長「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」、副操縦士「フラップアップフラップアップ」

18時56分00秒頃、航空機関士「上げてます」

18時56分07秒頃、機長「あたま上げろー、パワー」

18時56分23秒、右主翼と機体後部が樹木と接触、第4エンジンが脱落

18時56分26秒、右主翼の先端が稜線に激突、右主翼の先端と垂直・水平尾翼、第1・第2・第3エンジンが脱落

18時56分28秒、機体後部が分離

18時56分30秒、高天原山の斜面にほぼ裏返しの状態で衝突、墜落

Wikipediaより引用


犠牲となった芸能人

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(左)坂本九さん、(右)北原遥子さん

  • 坂本九  43歳(歌手)
  • 北原遥子 24歳(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役)
北原遥子さんは、横浜市の実家にお盆で帰省した後、大阪の友人に会いに行くための搭乗だったそうです。


1981年、67期生として花組公演『宝塚春の踊り/ファースト・ラブ』で初舞台を踏む。入団時の成績は8番。

宝塚同期には、

黒木瞳(元月組トップ娘役)
涼風真世(元月組トップスター)
真矢みき(元花組トップスター)がいます。
 

宝塚随一の美女』と謳われ、順調に娘役として脚光を浴び、トップ娘役は約束されていると言われていた矢先、テレビドラマのカメラテストを受けるよう依頼され、出かけた先で、プロデューサーより本番の撮影の被写体として無理やり出演を頼まれ、何度も断ったものの「台詞はない、顔も映さない」と言われ渋々応じた。しかし、その約束は守られず結果的に出演という形になった。


しかし、宝塚歌劇団および運営している阪急電鉄を通して事前の出演依頼がなかったことで、歌劇団の規定に違反する事態であり、歌劇団・阪急電鉄側とTV側の意見の食い違いの責任を北原が取らされる形で、1984年退団


退団後は、夏目雅子らが所属する事務所に所属し、CM(1985年度のCM好感度NO.1・1986年度の世界最高の広告賞クリオ賞に輝く)、女性アイドルグループのセイントフォーの主演映画『ザ・オーディション』、ミュージカル『カサノバ'85』(ヒロイン役)などに出演、夏目の妹分として多方面で活躍していました。

Wikipediaより引用


宝塚歌劇団は不運にもわずか3年で退団することになりましたが、その後は映画やミュージカルと色々活躍されていました。事故がなければ、きっと今でも活躍されてたでしょうね。


搭乗を回避していた著名人

仕事の都合で前の便に乗った人、後ろの便に乗った人、乗らなかった人…ほんの少しの違いで命運を分けることになりました。


  • 明石家さんま:TV収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えた
  • 麻美れい(女優):仕事が予定より早く終わり、1便早い飛行機に振り替えた
  • 逸見政孝(アナウンサー)とその家族:妻が飛行機嫌いであることに加え、長男が直前になって「新幹線のほうが安いから」と提案して変更
  • 稲川淳二(タレント):体調不良により翌朝の新幹線による移動にスケジュールを変更
  • 当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久蔵、林家こん平、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎、古今亭朝次、山田隆夫)- 翌日の徳島での阿波踊りに参加するために当初予約した便が悪天候のため、大幅に遅れ、代案でひとつ後の当便に搭乗する話が直前に出たが、こん平が「予約していた便で行こう」と提案したため、予約した便に搭乗し難を逃れた。しかし、阿波踊りに同行する予定だった広告代理店の数名は、万が一のためという理由で当便に搭乗し犠牲になった
  • ジャニー喜多川(芸能プロモーター・音楽プロジューサー・ジャニーズ事務所代表取締役) :仕事の都合で直前にキャンセルした

Wikipediaより引用


 

最後に

二度とこのような事故が起こらないように、必要な点検整備が適切に行なわれ、毎日の安全な飛行が確保されることを切に望みます。私の大学時代の知人もこの事故の犠牲になりました。この時期になると思い出します。天国にいる犠牲者の方々に十分だよと言ってもらえるような安全管理体制が時代が変わっても続いていってほしいです。これは人間が努力すれば出来ることですからね。

そしてあらためて、この事故で亡くなられた520名の方々の魂の平安とご家族の皆様の心痛が少しでもやわらぐことを心からお祈りします。
 


以上、ご覧いただき、ありがとうこざいます。
ヨッチでした。