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https://www.google.co.jp/search?q=電車通話+写真&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja-jp&client=safari#imgrc=x5mJv-BCEI6_6M:

こんにちは。ヨッチです。


今朝も、旅行客と思われる外国人が電車の中でスマホを持って通話してる。朝は割と静かな車内であるため、その男の声は車内に響きわたる。自分は耳栓をしているが、それでも男の声は通りがいいので耳障りだ。
車内通話は禁止なのに、なぜ通話してるんだ!と思ってしまう。

ということで、この車内通話について考えてみた。





海外での車内通話はOK?

今でも、ほんの一部の日本人は、自分は電話に出ない方が失礼だと言わんばかりに、周囲の視線にも一切気を遣わない声の大きさで、かかってきた電話に応答している輩を見掛ける。


外国人、お前もか!と思う。国によって違いがあるのもしれないと思い、海外の携帯電話による車内マナーはどうなっているのかと思い、ネットで調べてみた。


すると驚いたことに、特にほとんどの国では、電車内であってもワイワイ話すことは当たり前のことらしい。だから、会話と同じく、携帯電話での通話もOKのようだ。電車だけでなく、レストランでも携帯電話での通話を禁止しているところはなさそうである。




日本人が公衆の場での携帯電話の通話を禁止するのは、耳障りな音を立てて周りに迷惑をかけないためと言われている。これは日本人独特の感性であり、ほかの人の迷惑にならないためのルールなのである。


もし公衆の場で携帯に応対する人がいると、周りの人は少し迷惑そうな顔をして、決して注意はしないが、ジロっとにらむ。代わりに、携帯電話でメールを打てば済む話である。これは日本人の文化になりつつある。

外部リンク

 


なぜ海外は違うのか?

海外では静かに過ごすという文化がないようだ。喋ることが基本、好きに違いない。そう言えば、アメリカ人、中国人、フィリピン人、インド人など、大抵の外国人は車内で大声で喋っている。


日本人も仲が良さそうな、おばさん、おじさん、それに女子高生や男子大学生なども、喋っているが、外国人が喋る声はもっと大きいような気がする。


外国人が車内で大声で喋っている事象に対して、5年前になるが、中国共産党機関紙の人民日報が、東京の地下鉄車内で大声で話す声を3度聞いたが、いずれも日本語ではなく中国語だった」と報じ、海外でのマナーに気を配るよう中国人に促す記事を掲載している。


中国の電車やバスの中は、乗客の会話の声で非常ににぎやからしい。携帯電話などでスピーカーモードにして音楽を聞いている乗客もいるというから驚きである。携帯電話をマナーモードにして、通話を避ける日本人とは大きな違いだ。


国民性の違いとして公共交通機関を利用する日本人が車内で静かにしているということは中国人にとっては信じられないようだと、伝えている。


さらに、中国では“大声で主張した者が勝ち”というようなところがあるらしい。日本でも同じようなことは言えるが、さらに上をいくのかもしれない。





昨今は日本のどこに行っても外国人の旅行客を多く見かけるが、日本のマナーを理解して来日してほしいと思うし、そういう努力をしてほしいと思う。剛にいれば郷に従うである。


車内にもレストランにも、携帯通話禁止の表示は至るところにある。外国人が見ても分かるようにしている。


日本人が海外に行けば、外国のマナーを守らなければならないと普通に思う。ガイドブックを見ながら、事前に勉強するのである。完全に出来ないかもしれないが、どんなことをしてはいけないのか、守るべきことは守ろうとするのが日本人、日本の文化だと思っている。


ところが外国人はどう思っているのかということだ。少なくとも日本には日本のマナーがあることを理解しているのなら救われる。時間がかかっても、いずれ理解してくれると思うからだ。


ところがそんなことは知らない、好きなようにやるさと思っているなら、嫌な面しか残らない、大変残念だ。


日本人は外国人に対して割と寛容(外国語も話せないし)であるから、マナー違反があっても文句は言わないことがほとんどである。このことが外国人のマナー違反を増長しているのかもしれない。


5年前の2014年当時、訪日外客数は1,341万人であったのに対し、2018年は3,119万人と約2.3倍の伸び率になった。この急激な伸びはますます日本のマナーが脅かされる原因の一つになるかもしてない。


外部リンク

 


最後に

日本の良さは海外にはなかなか理解してもらえないかもしれないが、日本は周りの人たちに気を遣う文化なのである。陸続きの諸外国が攻防の歴史の上に現在があるのと違い、日本は島国であり、他国との争いをして来なかった。このことが互いに気を遣う、思い遣る文化を生んだのかもしれない。是非、外国人にも理解してもらい文化である。

 
 


以上、ご覧いただき、ありがとうこざいます。
ヨッチでした。